何を書いているのかもわからない駄文を
丁寧に読み解いて間違いを指摘してあげる、
ものすごく親切なシリーズ
「L.Kの逆賊退治」
第4回です!!
1. 蚊帳の外から権力にすり寄る暗山
2. 実質的に森教授をストーカー呼ばわりする暗山
3. 共同通信・世論調査結果の矮小化に必死な暗山
4. 壺切御剣で、改めて逆賊の本性を現す暗山
4. 壺切御剣で、改めて逆賊の本性を現す暗山
最後に暗山は、天皇陛下から秋篠宮さまへ壺切御剣が授けられたから、秋篠宮さまへの継承は確定だ、これが陛下の大御心だ、といったことを言い放ちます。
以前にも似たようなこと言ってたな~。
あのときは「立皇嗣の礼の宣明が大御心」だったっけ?
壺切御剣の親授も、立皇嗣の礼の関連行事の中でなされたものだから、同じことなんだけどな。
立皇嗣の礼は平成の立太子の礼を踏襲しているのだから、平成と同じく壺切御剣が親授されるのも当然です。
もし逆に平成の例に反し、御剣の親授がなされなければ、それこそ天皇陛下のご意思の表れといえるでしょうが、政治的意図が明らかなそのようなご意思を、お立場上、陛下が示せるわけがありません。
宣明と同様、極めて形式的に、粛々と親授なされたと解するのが自然です。
「立皇嗣の礼は日本国憲法の制約を受ける」という意味不明な言葉遣いからも伺える通り、またぞろ生半可な入れ知恵を誰かから吹聴されて、鵜呑みにしたのでしょう。
「皇嗣」については、今までにも散々いってきたことですが、皇位継承されるのが「確定」したお立場では「ありません」。
昭和天皇の弟である秩父宮さまが、昭和天皇即位後、上皇陛下がお生まれになるまで「皇嗣」でいらっしゃったのに、生涯にわたり即位されなかったのがよい例です。
同じ「皇嗣」でも、「皇太子」「皇太孫」と特別な称号が与えられている「直系の皇嗣」と、「傍系の皇嗣」とでは、そもそも扱いが異なります。
ましてや、男系男子規定が制度の安定運用に重大な障害を及ぼしている状況で、その男系男子規定によってなられた「傍系の皇嗣」への継承を、絶対視する理由はありません。
ご本人のお気持ちとしても、秋篠宮さまは「皇太弟」の称号を辞退され、また「兄が80才の時、私は70代半ば。それからはできないです」と周囲に漏らされたと報じられるなど、即位に否定的な報道が目立ちます。
秋篠宮さまへの皇位継承を当然のものと見做すのは、ご本人にとっても酷というものです。
このように、秋篠宮さまへの継承はご年齢的に非現実的ということは暗山も分かっているから、
「大御心は秋篠宮『家』に皇位を移すと示された。」などと嘯いて保険をかけます。
そもそも大御心でないことは先に述べた通りですが、それにしても、壺切御剣はいつから、「天皇」(個人)から「宮家」(家)へ授けられる物、という話になった?
無理やり「傍系の皇嗣」に授け(させ)られたというところからして、もう伝統もへったくれもあったもんじゃありません。
そして、この壺切御剣ですが、その由緒を調べてみるととんでもない代物であることが分かります。
この御剣、元は藤原家に伝来していたもので、平安時代に初代関白・藤原基経が宇多天皇に献上し、宇多から敦良親王(後の醍醐天皇)へ立太子の礼の際に授けられたことが現代までの習わしとされています。
しかし、御剣の授受を巡っては、たびたび藤原氏の介入を受けます。
藤原道長は、当時の皇太子である敦明親王に御剣を渡さないなどの圧力をかけ、最終的に廃太子に追い込みます。
道長の子、頼通もまた、ときの皇太子・尊仁親王(後の後三条天皇)に、即位するまで御剣を渡さなかったとされています。
このように、壺切御剣は、その起源からして、藤原家が天皇・皇室へ浸食していった歴史を象徴しているのです。
自分で「藤原氏など、皇太子を拝辞させたい皇族には渡さなかった」と書いているのだから、暗山も当然、こうした歴史を織り込み済みのはずです。
それを「皇位継承者の証し」だと?
「ときの権力者が皇位継承に干渉した歴史の証し」の間違いだろう。
バカも休み休み言え!!
自著で「玉音放送」とまで持ち上げておきながら、その中で語られた上皇陛下の安定的な皇位継承への願いを踏みにじる逆賊・暗山。
その「玉音放送」がきっかけとなって制定された、退位特例法の附帯決議が求める「安定的な皇位継承を確保するための諸課題、女性宮家等」の検討から完全に逃げた令和3年有識者会議案を、「立派な案」と褒めちぎる逆賊・暗山。
「皇族に人権はない。だからこそ尊い。」
「悠仁殿下には、(中略)いっそ学校など行かずにいち早くご結婚いただくことが何よりに優先事項」
「愛子内親王殿下の(中略)旧皇族の方々とのご結婚を、 政府当局者は進めるべき」
と、公然と皇室の方々の尊厳を家畜同然に貶める逆賊・暗山。
そして
権力が皇室を掌握する象徴である壺切御剣をありがたがる逆賊・暗山。
お前はもう、黙ってろ!!!
最後に。
藤原頼通に御剣を渡すのを拒まれた尊仁親王は、「ならばそんな物はいらぬ」と言って圧力をはねのけたといいます。
そして即位後は、藤原家(摂関家)を遠ざけて独自の親政を行い、「延久の善政」と称される治世を実現しました。
壺切御剣など関係ない!!
私たち国民は、愛子皇太子、そして次代の愛子天皇を戴き、日本と皇室の明るい未来を築き上げましょう!!!
普通の知能があれば、これだけ論理的に間違いを指摘されれば黙りそうなものですが、相手はそんな知能が期待できる生きものではありません。
なにしろ、何の実績も実力もなく、ちゃんとした文章すら書けないのに、ただ必死にマウンティングさえしていれば通用すると思っている猿山のおサルさんみたいなものなのですから。
現に、今週のSPA!には、今回論破し尽くした駄文よりもさらにレベルの下がった、目も当てられない罵倒文が載っています。
SPA!編集部も、少しは雑誌の品位を考えた方がいいんじゃないかと思いますが。
「愛子天皇への道」サイトでは、「論破祭り」開催中です!
https://aiko-sama.com/archives/39653